そっと手を伸ばしてみたの 触れたような気がしたよ あなたのその手に きっとそれは愛の奇跡 信じていて 時間だって越えてみせるよ

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『江戸から着信!?〜タイムスリップto圏外!〜』のDVDを観た。
いやあ、面白い。
記憶力ゼロな私はだいぶ忘れてるもんだから、もうやたら面白い。


以下はネタバレをかなり含む。

 

 


中学で自由研究あるとこって実際あるのかな? 熊井さんの台詞に「中2にもなって自由研究なんてやらせんなよなって感じ」ってのがある。自由研究といえば小学校ってイメージ。中学で自由研究とか本当にだるいよなあ。千奈美に私は常に蟻だった。「ファンタを垂らしたら10分後には蟻が寄ってきた」とかそんな感じ。昔から適当だなあ。

嗣永さんのヅラ姿は似合わないなあ。キャラも意外。でもキャワ!
よく考えたら嗣永さんがこれほどおでこをだしてることは滅多にないね。レア。オーディオコメンタリーで、産毛がヅラに入りきらないとこぼす。私も気になった。大人になるとなくなるから大丈夫ってフォローされてた。産毛が嫌で、普段おでこをださないのかも。私の認識では、そういう女の子は意外と多い。

嗣永さんと清水さんの出番の少なさについては、連番した奴と話して「中3で受験があるから稽古にあんま参加できず、主役級は無理なんだろう」っていう結論になった。

タイムスリップ直後に2人で寺に残る場面は、スイッチングとアップを使いすぎてる。このDVDは概ね素晴らしいカメラワークだけど、ここはやりすぎ。静かな場面だから、スイッチングを控えて引きで撮るべき。逆の立場をとるなら、ここでは感情の機微を表現する必要があるからアップの方がいいということになろうが、引きの方が淋しさも表現できる。

弥勒が未来仏だから未来へのタイムスリップの鍵かも、って話には言われるまで気づかなかった。なるほど、よく考えたなあ、って感じ。でも、過去仏関係で過去にタイムスリップするってことにはならないから、プロットには関係ない。

さらに考えると、弥勒が未来仏であることが、本当に意味のあることなのかよく分からない。
そもそも夏焼さんと菅谷さんは過去にタイムスリップする。もっとも、この2人は、過去の人間が元の時代に帰るのに巻き込まれる形として説明がつく。父親はどうやって過去に行ったんだろう。やっぱ過去仏関係かな。
弥勒の宝塔が江戸にない状況で、江戸の様子が現代からうっすら見えるということをどう捉えるべきか。逆に現代側から考えると、過去仏である釈迦の持物(じもつ)の作用と解釈することもできるかもしれない。

何日経過しても同じ服ってのは、劇の常なのだろうか。別に嫌じゃないけど。現代の3人は浴衣から洋服に1度着がえるだけに、それ以外のとこで衣装チェンジがない点が、ちょっとだけ気になった。
江戸と現代で、坊さんの衣装に違いがあるってことに全く気づかなかった。コメンタリーを聞いてびっくりした。他にも、コメンタリーには、へーって思うことがいくつかあった。演者と客とじゃ視点も違う。面白かった。

こういう話では、やっぱりエレキテル。でも平賀さんが登場しないのがいい感じ。斉藤瞳が蘭学に詳しいのはさすがに無理が。

父親のことが可哀想でやりきれない。「お父さん」って呼んであげることはないんだね。「初めて先生見たとき、なんだかほっとしたの。もしこのまま戻らなかったら......」ってセリフはある。「もしこのまま戻らなかったら......」のあとに何が続くのか。


本ブログ記事のタイトルは、挿入歌、『やっと会えたね』(詞:前川和大、曲:たいせい)のサビ(1回目)。歌詞は公表されてないようで、表記は不明。
この曲のあたりで半泣きになった。CDを発売してほしい。オーディオコメンタリーでも、ここで客が泣いてたよねって話してた。意外と客を見てるのね。
稲葉貴子の名芝居は生で観たときの方が凄みを感じた。まあ当然か。やっぱ熱演は生で観るのが一番。
千奈美に、邦楽で最も長いタイトルの曲はBeginの『それでも暮らしは続くから全てを今忘れてしまう為には全てを今知っている事が条件で僕にはとても無理だから一つづつ忘れて行く為に愛する人達と手を取り分けあってせめて思い出さないように暮らしを続けて行くのです』らしい。こういうの、嫌いじゃないw